第1回「私の“ローコードな人生“」

◆ごあいさつ~私の略歴

私は社会人35年生、”アラ還”のおじさんです(笑)。 私が社会人になったのは1987年(昭和62年)、時はまさしくバブル前夜。大学では電気工学を専攻していましたが「文系の職種であれば甘い汁を吸えるのではないか?」という不埒な考えで証券会社に入社。総合職での採用でしたが配属先は“システムセンター”。ITの世界に身を置こうとは微塵も考えていなかった私は、コンピュータ関連の単位は一切取っていませんでした。

当時、新卒入社の同期は200名以上!その1割、約20名がシステムセンター配属でした。社内研修でみっちり基礎を叩き込まれてから本配属。私の所属部署の担当は「証券オンラインシステム」。全国本・支店の証券注文や会計、証券取引所との受発注など、情報系を除く全てのリアルタイム処理のアプリケーション開発を担当する部署でした。最近の言葉で言えば「SoR」にあたるシステムのため、当時はすべて自社開発でしたが、今はパッケージやサービスが利用されている部分です。

当時はバブル期でもあり証券の新商品ラッシュ。日経225先物や日経225オプションなどのデリバティブ取引や各種投信などがドンドン追加される度にアプリケーション開発が必要となり、当時最先端だったH社製のメインフレーム上で動くアプリケーションを“PL/I”を使ってDAM端末にポチポチと打ち込んで作るので、家に帰れないほどの忙しさが続いていました。今だったら完全にブラックですが当時は24h働くのが当たり前の時代でした(笑)。

呆気なくバブルも弾け、入社してから10年が経過した頃「新しい事がしたいなぁ・・・」と思い、大手プラントエンジニアリング会社の子会社であるSIerに転職し、オープン系システムの開発に携わりました。34歳にして生まれて初めてSQLに触れたのでした。

転職当初は「PowerBuilder+Oracle」でシステム開発が出来る事が嬉しくて堪りませんでしたがそれも束の間。結局、やることはまた同じ、月の稼働時間が“ン百時間”というデスマーチが続くのでありました。

多忙ではありましたが、そこで過ごした8年間は充実した日々でした。が、再び新天地を求めて転職した先で出会ったのが、南米ウルグアイ製のローコード開発ツール“GeneXus”でした。その転職では図らずもSEから営業にキャリアチェンジする事にもなり、今までの経験を生かして“GeneXus”を売る事に全精力を傾けました!そこから私の長い「ローコード開発ツール人生」が始まりました。

◆システム開発の“飛び道具”

システム開発の“飛び道具”

18年間に亘るSE時代にはメインフレーム→オープンシステムという時代の変遷こそありましたが、設計~製造~テスト・・・の全工程を全て人の手で行っていました。そのために長時間の過酷な労働を強いられ、予算も膨らむわけです。当時、この課題の解決策としては、

1、国内ソフトハウスに“安価”で請けてもらう
2、オフショア開発を利用する

くらいしか無かった訳です。

2は安価といえども限界がありますしWIN-WINのビジネスとは言えません。②はコストを抑えられますが、仕様齟齬の発生や受入テストに掛かるコスト等、オーバーへッドが発生します。いずれにしても通常のシステム開発の方法で生産性を上げるのは容易ではない、という事です。

そこに“飛び道具”として現れたのが「ローコード開発ツール」でした。(当時は“自動開発ツール”と呼ばれていました)今は「ローコード開発」が脚光を浴びていますが、17年前にコレを売っていくのは大変、苦労の連続でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。続きは次回・・・。

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